世界メシア教とは

世界メシア教の教祖は誰ですか?

岡田茂吉(1882~1955)です。私たちは、「明主様」と呼ばせていただいています。

教祖亡き後、世界メシア教の中心は誰ですか?

教祖の後継者である「教主」です。私たちは、「教主様」と呼ばせていただいています。
私たち世界メシア教では、教祖の今の願いを、教主が伝えてくれるのだと受けとめています。
現在は、教祖の孫である岡田陽一が四代目の教主を務めています。
また、教祖のひ孫である岡田真明が教主後継者として定められています。

世界メシア教の歴代教主は誰ですか?

初代教主は、教祖の岡田茂吉(1950~1955)。二代教主は、教祖の妻であった岡田よ志(1955~1962)。三代教主は、教祖の息女の岡田斎(1962~1998)。そして、現在は、四代教主の岡田陽一が務めています(1998~)。

世界メシア教はどういう神様を信じていますか?

ユダヤ教やキリスト教の神様と同じ、唯一の神様を信じています。
教祖は、「エホバ(ヤハウェ)」「主」「天の父」とも呼んでいました。

世界メシア教の教えはなんですか?

教祖に倣い、神様の子どもであるメシアとして新しく生まれることを目指しています。

「神様の子どもであるメシアとして新しく生まれる」と言われてもよく分かりません。どういうことでしょうか。

私たち一人ひとりにはこの世での親がいますが、私たちの本当の親は、天の父である唯一の神様であること。これを認め、信じ、私たち一人ひとりが持たされている「メシア」の御名にあって神様のみもとに帰ること。これが新しく生まれる道に通じるのだと私たちは受けとめています。
さらに詳しくお知りになりたいようでしたら、本教団のホームページやニュースサイト等を見ていただき、また、ホームページ上の「お問い合わせ」からご連絡いただければ、最寄りの教会をご紹介させていただきます。

世界メシア教の救いとはどのような救いですか?

ひと言で言えば「祈りによる救い」です。
私たちは、誰でも、日々、心の中に、怒り、焦り、妬み、嫉み、不安、いらだち、悲しみ、劣等感、満ち足りない思い、相手を支配したい思いなど、さまざまな思いが心の中に湧いてきます。
私たちは、それは、私たち一人ひとりにつながる多くのご先祖様、また、全人類の思いだと受けとめています。
そのような「思い」を、ただ忘れ去ろうとしたり、あるいは発散したりするのではなく、「メシア」の御名にあって神様にお捧げすること、これこそが救いであり、一人ひとりの人生を大きく、明るくしていくことだと信じています。

世界メシア教の教典はなんですか?

教祖の遺した歌、論文、講話、また、教祖の事蹟、すべてを教典としています。
ただ、二代教主は、教典の解釈をするのは教主であると明確に定めており、世界メシア教においては、教主から伝えられる教祖の教えを大切にしています。
また、世界メシア教の信仰の根幹は、「教祖が時代時代の教主を通して自らの心を伝える」ことを信じるところにあり、教祖と歴代教主は不可分の関係であることから、教祖が遺した言葉だけではなく、歴代教主と教主後継者・岡田真明の言葉を「聖言(みことば)」と呼ばせていただいています。

誰でも世界メシア教の信徒になれますか?

はい、なれます。
世界メシア教の信徒となりたいお気持ちがあれば、どなたでも信徒となっていただけます。

入信するには何が必要なのでしょうか?

世界メシア教の信仰を理解していただくことが基本です。
具体的には、入信願書の提出と、また、それに合わせ3万円の奉納金をお納めいただいています。
その後は、毎月1000円の教費をお納めいただくことになります。

退会は自由にできますか?

はい、もちろんです。
入会をされるのも、退会をされるのも、個人の自由ですのでご安心ください。

入信をする時に「おひかり」というペンダントのようなものを掛けると聞きました。「おひかり」とはなんですか?

世界メシア教の信徒となった証しのペンダントです。
私たち一人ひとりの中に神様がいることを忘れないため、世界メシア教の信徒は肌身離さず身に着けています。「お守り」と少し似ているかもしれません。

世界メシア教は、世界救世教やMOA美術館とは関係がないのですか?

あります。
世界メシア教は、宗教法人名を「世界救世教主之光教団」と言い、世界救世教の被包括法人の一つです。
しかし、世界救世教は、私たち世界救世教主之光教団が、教団の中心である「教主」と共に歩んでいるのは由々しき問題であるとして、世界救世教主之光教団との包括・被包括法人関係を解除したと主張しています。
現在、その解除の有効性について、世界救世教と裁判中です。
裁判の結果が出るまでは、まだ、世界救世教の被包括法人の一つです。

世界メシア教が裁判に負けたら、世界メシア教は消滅してしまうのでしょうか?

そのようなことはありませんのでご安心ください。
私どもは、国から認められた宗教法人格を与えられており、裁判に負けたからと言って、その法人格を失うことはありません。
むしろ、今まで以上に、教祖の願いである「キリスト教と呼応しての救い」を前面に打ち出して、力強く進んでまいります。

世界メシア教とキリスト教

世界メシア教はキリスト教の一派なんですか?

いいえ。
世界メシア教は、1950年に教祖が開教した、いわゆる「新宗教」の一つです。教祖が1935年に発会した大日本観音会を起源としています。
ただ、教祖は、世界メシア教を開教した時、仏教と神道の時代は過ぎ去ったこと、また、「世界人類の救済からゆくと、メシア教はよほどキリスト教に近くなる。いずれはそうなるべきだが、ようやく時期が来たのである」と言いましたように、教祖は、自分の宗教は、「キリスト教系の新宗教」だと自負していました。

世界メシア教は神道や仏教とは違うということでしょうか?

はい、そうです。違います。

岡田茂吉がキリスト教と関係があるという話はあまり聞いたことがありません。それは事実でしょうか?

はい、事実です。
教祖は、世界メシア教を開教した時、「キリストのいわく『天国近づけり……』はわが教理と最も近きにあり、わが教理は『現世の天国』を一日も早くつくることにある」と、自身の教えがキリスト教の教えと最も近いと言いました。
また教祖は、「キリストの遺訓まことに立派で、やはり世界人類救済の神力や偉大です。私は、わが新教は、このキリスト教と呼応し、東洋において、わけてもまず日本で、人類の善導と救済に全智全能をあげて働いてゆきたい。従ってこのことが今後の世界平和に必ず大きな寄与をなすものと堅く信じています」と述べ、自分の宗教とキリスト教とが呼応していくことが世界平和のためになると強く信じていました。
さらに教祖は、「世界平和が宗教の力で実現可能ですか」という問いに対して、「絶対可能と信じている。前にも述べた通り、西洋にキリストあり、東洋にメシアあり、この二大勢力が東西相呼応して平和のために全信徒が、真面目にたたかってゆくなら必ず永遠の平和がもたらされるものと思う」と述べ、自分の宗教とキリスト教は、事実上一つのものであること、また、キリスト教徒と共に歩んでいきたい意思を明確に示しました。

もしそうだとして、なぜそのような岡田茂吉とキリスト教の関係を今まで聞いたことがなかったのでしょうか?

特に日本においては、宗教に対する批判的な見方があり、私たちは長年、教祖が使用していた「メシア」という言葉を隠して活動をしていたことが主な理由です。
教祖が名付けた「世界メシア教」という教団名を、「世界救世教」と改名したことが何よりの証拠です。
また、宗教である、という批判に耐えきれず、宗教という姿を隠し、教祖の教えの中核をなしていることを隠し、その上で文化活動のようなことをしたり、行政と組んで仕事をしたりし、教祖の教えを、世の中で一般に言われていることに落として活動をしてきたことも大きな要因です。
教祖の教えの偽の姿を、皆様に「岡田茂吉の教え」と思わせてしまったこと、これは、教祖の信徒である私たちの責任です。
私たちは、宗教活動を、教祖が名付けていたのと同じ「世界メシア教」に戻し、教祖・岡田茂吉の教えを、何も隠さず、忠実に実行しようと努めています。

世界メシア教において、『聖書』はどのような位置付けですか?

教祖の教えに鑑み、大変重要なものだと認識しています。
教祖は、「世界のあらゆる宗教関係書籍の内、罪を悔改めるに最も力あるものとしては、聖書に優るものはない」と断言しており、教祖の信徒であれば、『聖書』は積極的に読まなければならないものと認識しています。

世界救世教(MOA)の「尾行・盗聴・盗撮」について

世界救世教が、教祖・岡田茂吉の孫であり、四代目の教主を尾行・盗聴・盗撮したと聞きました。これは事実でしょうか?

はい。残念ながら、事実です。
世界救世教、具体的には、MOA活動で知られる東方之光が、自分たちの信徒を使い、教主を尾行・盗聴・盗撮したと聞いています。

世界救世教は、いまだに教主や、その家族に尾行のようなことをしている可能性もあると聞きました。これは事実でしょうか?

分かりません。
しかし、世界救世教が「私たちはもう尾行はやめた」ということを言ったことはないので、今でも続いているのかもしれません。
世界メシア教は、このような非人道的行為であり、人権を奪う行為を行う世界救世教を強く非難しています。

信仰者が、尾行・盗聴・盗撮というような行為をするとはにわかには信じられません。また、世界救世教という社会的にも広く認知された教団がそのような非人道的行為を実行することもにわかには信じられません。世界救世教を批判するために、そのような嘘をねつ造しているのではないのですか?

いいえ、違います。
世界救世教による、教主(正確には教主夫妻)への尾行・盗聴・盗撮は事実です。
当時、週刊誌などにも報道されたように、残念ながら、これはまぎれもない事実です。
善の行いによって人々を感化していくべき信仰者としてあるまじき行為であり、私たちの仲間が、このような形で社会の皆様にご迷惑をおかけしていることにつき、誠に申し訳ないことだと思っています。
他のQ&Aにも記しましたように、世界救世教がもし裁判に勝った場合、尾行・盗聴・盗撮という行為は悪いことではない、という考えをもった世界救世教がその後も存在し続け、それにより人心に対して悪影響を与え続けてしまうことを、世界メシア教としては一番懸念しています。
そのためにも、世界メシア教との裁判を通して、世界救世教が、このような恥ずべき行為を実行したことを反省してくれることを願っていますし、そのようなことに努めるのは世界メシア教に課せられている義務だとも思っています。
世界メシア教は、裁判が終わったあとも、世界救世教の方々が、尾行・盗聴・盗撮という恥ずべき行為を実行したことを反省、悔い改めることができるよう世界救世教に働きかけ続けることを社会の皆様に約束いたします。

世界救世教は、なぜ敬意を払うべき教祖の孫である教主に対して、尾行・盗聴・盗撮という行為をしたのでしょうか?

世界救世教や東方之光・MOAに聞いてみなければ分かりませんが、教主という存在が都合が悪かったということは間違いがないことだと思います。

教祖は、教えの中で、尾行・盗聴・盗撮のような行為については何と言っているのでしょうか?

教祖は、「人の目を盗むは已に人の物盗むと同じ事にぞありける」と言い、そのような行為は泥棒行為であるとして、強く批判しています。
教祖の信徒であれば、決してしない行為です。

では、尾行・盗聴・盗撮は教祖の教えからすると教義違反ということでしょうか?

はい、おっしゃる通り、教義違反です。
現在、尾行・盗聴・盗撮を実行・容認している方々が、「教主は教義違反をしたため世界救世教から追放した」と主張していますが、そのことの不自然さは、誰もがご理解いただけるところだと思います。
尾行・盗聴・盗撮を実行・容認したことにより、世界救世教は、教祖・岡田茂吉の信徒であることを自ら捨て去ってしまいました。

世界救世教は、尾行・盗聴・盗撮によって、どのような情報を得たのでしょうか?

世界救世教は、教主に「キリスト教の友人がいる」「キリスト教の学びをしている」という情報を得たとしています。そして、盗撮した映像を、教主に断りなく、一方的に、プライバシーや肖像権を侵害する形で今もさまざまな方法で公開し続けています。

世界メシア教は、尾行・盗聴・盗撮という行為をどのように考えていますか?

教祖は、嘘偽りがなく、隠し事が一切ない明るい世界である水晶世界を作るために全身全霊を捧げました。
尾行も盗聴も盗撮も、すべて、隠れて行う行為で、教祖の信念とはまったくかけ離れた、正反対の行為だと受けとめています。
世界救世教が実行した尾行・盗聴・盗撮により、残念ながら、その世界救世教の教祖である岡田茂吉の社会的地位と名誉は著しく損なわれてしまいました。
世界メシア教は世界救世教と係争中ですが、その裁判の本来の目的は、そのような行為をした方々が、教祖の顔に泥塗る非道な行為をしたことを悔い改め、教祖・岡田茂吉の名誉を損害したことを反省してほしいという願いからです。
世界救世教が裁判に勝った場合、世界救世教は、尾行・盗聴・盗撮という行為は正当化できるものと考え、悪いことをしても免れられるという考えのもと、教祖の願いからますますかけ離れてしまうと考えています。

世界救世教のもめごとにより、教団の状況はどのようなものになったのですか?

世界救世教は、3つの被包括法人から成り立っています。
「世界救世教主之光教団(世界メシア教)」「世界救世教いづのめ教団」と「東方之光(MOA)」です。
簡単に言ってしまえば、このたびの内紛により、「世界救世教主之光教団」のほぼすべての信徒、また、「世界救世教いづのめ教団」の7割から8割の信徒、また、「東方之光(MOA)」からも一部の信徒が「世界メシア教」に所属することになりました。
教祖の思いを継承する正当な教主のもとで歩みたい、という思いはもちろんですが、それだけではなく、世界救世教が実行した尾行・盗聴・盗撮は信仰者として許されざるものであるということ、また、教祖となんら関わりのない渡瀬信之改め岡田信之氏が世界救世教の「教主様」になったことへの反発などからが主な理由となります(渡瀬信之改め岡田信之氏についてはこちらのQ&A参照)。
一方、「世界救世教」は、基本的に、「東方之光(MOA)」のほぼすべての信徒、「世界救世教いづのめ教団」の2割~3割の信徒、また、「世界救世教主之光教団(世界メシア教)」の一部の信徒によって構成されている、ということになりました。

世界メシア教と世界救世教の間では、現在たくさんの裁判が行われている、ということでしょうか?

はい。
お恥ずかしい話ですが、それは事実です。
別のQ&Aに記した裁判の他にいくつもの裁判が行われていますが、その中の一つの中で、世界救世教は、多くの信徒が教主のもとにある世界メシア教に参集したため財政状況が逼迫し、普段の宗教活動費もままならなくなったとして、世界メシア教に対して、何十億にも及ぶ損害賠償を請求する裁判を起こしてきています。
私たちからすれば、すべて、尾行・盗聴・盗撮のような行為をし、世界救世教の中心である教主を追い出し、救いの道を示してくれた教祖・岡田茂吉につながる岡田家を教団から追い出すような行為をしたことによる当然の結果であり、自業自得であると思っています。
世界メシア教は、世界救世教が反省し、今のありようを悔い改めるよう、引き続きさまざまな働きかけを行っていきたいと考えています。

世界救世教の「教主」について

世界救世教が、教祖の孫である、四代教主を世界救世教から追放したと主張しているというのは事実でしょうか?

はい。残念ながら、事実です。
世界救世教は、「四代教主にはキリスト教の友人がいる」「キリスト教の学びをしている」とし、それを理由に、世界救世教から追放したとしています。
しかし、他のQ&Aからも分かるように、教祖のキリスト教への強い思いを鑑みれば、キリスト教の友人がいることや、キリスト教の学びをすることは、むしろ教祖の願いに適うことであり、そのような理由で教団から追放されるというのは不可解なことと言わざるを得ません。

世界救世教は、教主だけではなく、教祖の家族である岡田家全員を世界救世教から追放したと主張しているということも聞きました。これも事実でしょうか?

はい。残念ながら、それもほぼ事実です。
教主にキリスト教の友人がいること、教主がキリスト教の学びをしていることを理由に、教祖の孫やひ孫やその家族全員を、世界救世教から追放したと主張しています。
ほぼ事実です、というのは、岡田家に関わる方でも、世界救世教から追放されなかった方はいましたが、世界救世教が尾行・盗聴・盗撮という行為を実行したことを知るに至り、世界救世教から離れました。
現在、岡田家に関わる方々は、みな、世界メシア教と共に歩んでいます。

四代教主を追放したとして、現在の世界救世教の「教主」は誰ですか?

東海大学名誉教授の渡瀬信之、という人物です。
世界救世教は、この渡瀬信之氏が世界救世教の現在の教主様(五代目)であるとしています。
岡田家とは縁もゆかりもない方ですが、改名し、「岡田信之様」と名乗らせているようです。
渡瀬信之改め岡田信之氏が「教主様」であることに反対する署名は世界中から集まり、その数は11万にのぼりました。署名は、文化庁に提出しました。
世界メシア教は、教祖の孫である、岡田陽一四代教主が正当な教主であり、また、五代目教主となるべきは、教祖のひ孫の岡田真明となるのが正常ではないのかと考えます。

一般的には、「現教主がキリスト教に傾倒してしまい、教団を追放された」と理解している人が多くいると思いますが、これは事実ではないということでしょうか?

はい、事実ではありません。
他のQ&Aからも分かるように、キリスト教に傾倒していたのは、まず、教祖である岡田茂吉です。
しかし、世界救世教や、岡田茂吉を信じる多くの団体において、この教祖とキリスト教との関係については長年無視されてきました。
四代教主は、教祖の本来の願いであった「メシア教はよほどキリスト教に近くなる」「キリスト教と呼応して人類救済を進める」「キリスト教徒と共にたたかい世界平和を成し遂げる」ということに応えようとしているのみ、となります。

四代教主が教義違反をしている、だから世界救世教から追放された、ということを聞いたことがあります。四代教主が教義違反をしたのは事実でしょうか?

いいえ、事実ではありません。
四代教主は、教祖が説いた「新しく生まれる」ということ、「浄霊よりも想念」ということ、「キリスト教に近づいていく」ということを大切にし、また、根本的に、教祖がしたように、宗教や神様は隠すべきではない、というスタンスを取っていました。
世界救世教の一部の方々は、表立って宗教や神様を出さないあり方で進めていきたかったのですが、この教主の姿勢が都合が悪くなり、教主を「教義違反」という理由により追放したと主張している、ということになります。
こちらのQ&Aによっても明らかなように、教主が説いていることは、すべて教祖の根本的な教義に則っていることであり、「教義違反」というのは事実ではありません。
また、もし本当に、教主が、誰もがおかしいと思っている教義違反を犯していたとしたら、世界救世教が、尾行・盗聴・盗撮のような行為をしなくてよかったのはあまりにも明らかです。
世界救世教が尾行・盗聴・盗撮のような行為をしたこと自体、世界救世教が、自らの手で、教主を教義違反によっては追い出せないため、別の理由が必要だと考えたことの何よりの証拠です。
別のQ&Aでも申しましたように、教祖の教えの一番の教義違反は、世界救世教が実行した尾行・盗聴・盗撮です。

世界救世教の教義を定めるのは誰なのでしょうか?

教主です。
世界救世教の憲法とも言える「教規」には、「教主は、教義を...定める」と規定されています。

世界救世教と言えば、MOA美術館や手かざしの浄霊(Q&A参照)が主な活動で、教主という存在についてはあまり聞いたことがありませんでした。世界救世教においては教主というのは二義的な存在ではないのですか?

いいえ、違います。
教主を中心に戴くことが、世界救世教が世界救世教たるゆえんです。
世界救世教は、長年、世界救世教の憲法とも言える「教規」に、教祖の聖業を継承するのは教主であること、また、教義、祭儀、聖地建設の大綱を定めるのも教主であると定めてきました。
二代教主は、「明主様御昇天後は霊界から現在の、救世教教主を通じ御念願の地上天国建設を御推進遊ばされるのでありまして、その御心は私の胸に映り、教化上の大綱は私を通して指示されるのであります」、また、「教主とは文字通り『教えの主』であって、明主様も御在世中は教祖であられると同時に、教主でもあられたわけであります。原典の解釈、集成、統一、敷衍等、教化の最高指導責任者は、その時代々々の教主であります」、また、「明主様は御昇天になられたから、どこかへ行ってしまったのであるかというとそうではなく、ちゃんとここにおられるのであって、見えない部分はここにおられ、「教主の座」ここについておられるのです。明主様は私にちゃんとかかって皆様を育成なされておられるのであります」、また、「御昇天後の現在、明主様のお身魂は、私の背後にいつも引そうておられるのでありまして、私の言う事が即ち明主様の申される事であり、私の示す方向が、明主様の御指示遊ばす方向で、それをどうしても聞かれぬお方は、明主様が已むを得ずお綱を切られる訳で、自然に本教団から去ってゆかれる運命にありますが、そういう事のなきよう切に祈っておる次第であります」と述べているように、世界救世教は、教主がその方向性を定める教団です。

では、現在言われているような「教主の方向性がおかしいから追放した」というのは、世界救世教のルールからするとおかしいということでしょうか?

はい、その通りです。
教主を追放したと主張している世界救世教は、世界救世教のルールを一方的にやぶり、それを正当化するため、その組織力などを使い、教主へのありとあらゆる誹謗中傷のキャンペーンを行っています。
世界メシア教は、世界救世教の本来の道を守るため、また、世界救世教のルールを守るため、教祖の後継者である教主のもと歩んでいます。
世界救世教の方々が、一日も早く自分たちのしているあやまちに気づき、私たちと共に、本来の世界救世教のありように戻ってくれることを願っています。

岡田陽一教主は、キリスト教の集いのようなところで学んでいたというのは事実なのでしょうか?

はい。事実であり、また、このことは、教祖の真の願いを受けとめたい私たちにとって大変ありがたいことだと、教主に対して深く感謝しています。
私たちが長年無視してきた、教祖の願いである、「キリスト教に近づくこと」、「キリスト教と呼応すること」、「世界平和のためにキリスト教徒と共にたたかうこと」を、教主が身をもって実践してくださっていることを大変ありがたく思っています。

岡田陽一教主に、キリスト教の友人がいるというのは事実なのでしょうか?

教主のプライバシーに関わることなので、本来、そのようなことは私たちが詮索することではありませんが、事実だと思います。
教主が、プライベートな時間までも、私たち信徒のため、他宗教のことを学んでくださっていることは大変ありがたく、そのようにして教主の務めを果たしてくださっていることに感謝しています。

世界救世教によると、教主にキリスト教の友人がいること、また、キリスト教の学びをしていることが絶対悪であり、大変おどろおどろしいことかのように宣伝されていて、不安を覚えます。キリスト教や聖書を学ぶことは、悪いことなのでしょうか?

もちろん悪いことではなく、むしろ教祖・岡田茂吉は、他宗教に触れることを積極的に推奨しています。
教祖は、「ところが自慢じゃないが本教である。本教が他の宗教に対して、触るるななどというケチな考えはいささかもない。かえって触るるのを喜ぶ位である。というのは本教は全人類を融和させ、世界を一家の如くする平和主義であるからで、この意味において、本教ではいかなる宗教でも、仲間同志と心得、お互いに手を携え、仲良く進もうとするのである」、「他の宗教に触るるのを恐れる理由は、その宗教より以上の宗教があるかも知れないとの懸念の為であろう。というのはその宗教に弱点があるからで、大いに注意すべきである。そうして自画自讃で言いづらいが、我がメシア教に限ってその点実に自由である。これは信者はよく知っているが、他のどんな宗教にでも大いに触れるべしと云っている。もちろん研究も結構で、それだけ見聞が拡まるからである」と述べています。
教祖の言葉からすると、教主のキリスト教との交流を批判する世界救世教は、ケチな考えを持っていて、弱点があり、他により良い宗教があるかもしれないという恐れの念を抱いているという、そういう宗教団体だということになってしまいます。
教主が、キリスト教を徹底的に研究する中で広めた見聞を、私たちにも教えてくださっていることは大変ありがたいことです。
「他のどんな宗教にでも大いに触れるべし」。この教祖の言葉がすべてではないでしょうか。
「教主はキリスト教の集いで学んでいる!」という世界救世教の教主に対する批判が、いかに教祖の願いとはかけ離れたものであるかはあまりにも明白です。
そもそも、自分たちのことでもあるので言いづらいところもありますが、世の中では、キリスト教よりも、世界救世教のような新宗教のほうが、おどろおどろしい団体だと思われているのではないでしょうか。
その世界救世教が、教主のキリスト教での研究や、キリスト教での集いのことを調べ上げ、それをおどろおどろしいことかのように自分たちの信徒に宣伝している姿は、滑稽以外の何ものでもありません。

では、世界救世教は、教祖の聖業を継承する教主、教義を定める教主、教祖の願いである「キリスト教に近づくこと」や、「キリスト教と呼応する」という教祖の教義に忠実に従おうとする教主を、ただ自分たちのやり方で進めたいため、教主という存在が不都合なため、一方的に追い出し、さらには、同時に、教祖の家族である岡田家もことごとく追い出した、ということなのでしょうか?

はい、その通りです。

岡田茂吉の真実

岡田茂吉と言えば、手かざしの浄霊こそが教えの中心だと思いましたが、それは違うのでしょうか?

はい、違います。
確かに教祖は、長年、手をかざしての浄霊の大切さについて説いていましたが、最晩年に、浄霊は二の問題であること、これから想念の世界であること、また、想念による新しい浄霊を発見した、などのことを繰り返し述べました。
そして、これからは「お念じしなさい」ということを言いました。
世界メシア教では、この教祖の思いを真正面から受けとめ、念じること、即ち、祈りこそが最も大切だと受けとめています。
他のQ&Aでも記しましたように、私たち一人ひとりの心には、日々いろんな思いが湧いてきます。
その私たちの苦しみを、神様が、私たちの中で、愛の手を持って包み、癒し、受け取ろうとしてくださっています。
その「愛の手」こそが、教祖の説いた浄霊の手であったと私たちは信じています。

岡田茂吉は、宗教ではなく、宗教色を消した、間口を広げた救いを説いたと聞いています。これは間違っているのでしょうか?

はい、間違っています。
終戦前は、国家からの弾圧が厳しく、宗教という形を取ることができませんでしたが、戦後、日本国憲法によって信教の自由が保障されるや否や、教祖は、宗教を前面に打ち出した活動を進めていきました。
教祖の言葉を借りますと、「私が以前から宗教をやりたいと思っても、終戦前はてんでどうする事もできなかった。それで仕方なしに浄化療法という民間療法でやっとやっていた様な訳で、宗教的な事は全然駄目です。それが終戦と同時に信教の自由が許されるというわけで宗教団体をつくったのです」「その時代には新宗教というのはとてもやかましいので、手も足も出ないので、宗教という事は言えなかったのです。そこで治療ですが、日本浄化療法という民間治療で誤魔化していたのです」「それが終戦になって、よい塩梅に信仰の自由が許されたので、昭和二十二年八月にやっと宗教法人として宗教的にやる事を許され、それから本当の活動を始めたのです」。
日本浄化療法や岡田式浄化療法という民間療法はごまかしでやっていたものであり、宗教活動が本当の活動だと教祖は言っています。
世界メシア教は、日本においていかに「宗教」という色眼鏡で見られようとも、教祖の言葉を信じ、その精神を受け、「神様」「宗教」ということを前面に打ち出した活動を推進しています。

それでは、世界救世教が推進している、宗教色を消したMOA活動や浄化療法というのは教祖の説いたこととは違うということでしょうか?

はい、まったく違います。
教祖は、MOAや浄化療法のように宗教色を消した活動は、戦前、宗教活動が行えない時代にやむを得ずしていたことであり、信教の自由が保障されてからは、宗教活動ができることを大変喜んでいました。
教祖は、その気持ちを、「天下晴れて宗教団体として活動が出来るようになった」と言っています。
ですので、せっかく、現在、ありがたいことに日本国憲法において信教の自由が保障されている時代に、宗教色を消した活動をする意味はまったくありません。むしろ、教祖の願いからは大きくかけ離れ、逆行しているものとなってしまいます。
世界メシア教は、世界救世教の被包括法人の一つとして、世界救世教に対して、宗教色を消した活動をしているという重大な教義違反を即刻改めるよう、いろいろな場面で働きかけています。

教祖である岡田茂吉はメシアですか?

はい、そうです。
教祖は、最晩年、自らの中でメシアが生まれたことを述べました。

それではイエス・キリストはメシアではないということでしょうか?

いいえ。イエス・キリストもメシアです。
イエス・キリストこそ、人類で最初にメシアという存在を体現した、偉大な存在です。

メシアは普通一人しかいないと思うのですが、違うのでしょうか?

はい、違います。
世界メシア教においては、人類の誰もが、一人ひとりの中に、唯一の神様の魂を持たされており、この魂と一つとなることにより、神様と一つとなることにより、誰もがメシアとして新しく生まれることができると信じています。

岡田茂吉は生まれ変わりを信じていましたか?​

いいえ。
長年生まれ変わりを前提として教えを述べていましたが、最晩年に、メシアとして新しく生まれることの大切さに気づいた時、「生まれ変わるというんじゃないですね」とはっきりと言い、人間が目指すべきは、生まれ変わり、輪廻転生による永遠の命ではなく、神様の子どもとなることによる永遠の命だと示しました。

箱根、熱海、京都の三聖地はあらゆる力の源であり、そこに行くことですべての問題が解決すると教えられてきました。私たちにとって最も大切な場所、行かなければならない場所は、三聖地ではないのですか?それを教祖は説いたのではないのですか?

いいえ、違います。
教祖の歌に、「永遠に冬なき夜なき天国に世人救はむはや来れかし」「奴羽玉の闇に杖なく彷へる人こそ訪ねよ光明の国」とあるように、私たちが本当に行かなければならない場所、本当の聖地は、永遠に冬も夜も来ない場所である、神様がお住みになる天国です。
地上にある三聖地には冬も夜も来ます。
私たちが最も訪れなければいけない場所は、光明の国である天国です。
私たちは、長年、この教祖の願い、教えが分からず、目に見える聖地こそが力の根源であると信じ込み、「聖地中心」という言葉を使い、この地上の聖地に、物質に、固執してきました。
そのせいにより、この地上の聖地を奪い合ったり、都合の悪い人を追い出そうと考えたりし、この地上の聖地を、私たちの醜い、自己中心的な考えにより汚し続けてきました。
現教主は、その私たちの生き様を悔い改め、本当の聖地である天国に帰るよう強く訴えています。

それでは、箱根、熱海、京都の三聖地についてどのように考えればいいのでしょうか?

現在、三聖地は、また、世界救世教につながる海外の聖地は、教主夫妻への尾行・盗聴・盗撮を実行・容認した世界救世教とそれにつながる教団によって管理されています。
この地上の聖地といえども、当然、そこは、最も清い場所でなければなりません。
教祖は、「地上天国も詮じ詰めれば暗がりも秘密も嘘もなき世なりける」「塵程の罪や穢れも隠されぬ御代を水晶世界といふなる」という歌を通して、私たちが目指している地上天国という世界というのは、暗がりや隠し事がない世界であることを示しています。
尾行・盗聴・盗撮は、すべて、隠れてする行為、暗がりでする行為であり、その実行者・容認者が管理する場所が教祖にとって聖地であるはずはありません。地上天国の模型やひな型となりうるはずはありません。
世界救世教は、せっかく教祖が残してくれ、また多くの信徒が長年懸命に奉仕に努めてきた聖地に泥を塗り、汚し、もはや、聖地ではなく、「尾行・盗聴・盗撮実行者・容認者が管理するただの土地」という存在にしてしまったのです。
尾行・盗聴・盗撮実行者や容認者が管理する場所が、どうすれば聖地となりうるのでしょうか?
答えは自ずから明らかです。

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